ハッチとマーロウ (青山七恵)
青山七恵が描くおちゃめな双子の物語
デビューから12年。青山七恵が温めてきた懐かしくて新しい物語。
「ママは大人を卒業します!」と突然の宣言。
11歳の誕生日に突然大人になることを余儀なくされたハッチとマーロウ。お料理ってどうやって作るの?お洋服、何を着ればいいの?双子に個性って必要?私たちのパパって、誰なの・・・・?少しずつ目覚めるふたりの自我と葛藤。
おちゃめでかわいい双子の日常が愛おしく過ぎていく。
結末に知るママの思いと双子の小さな約束に心揺さぶられる。
かつて子供だった大人へ、これから大人になる子供達へ贈りたい、感動の物語誕生。全編を飾るイラストは、大人気イラストレーター・田村セツコさん。
1月 わたしたちが大人になった日のこと(ハッチ)
「聞こえた?ふたりとも。聞いたよね。今日からふたりは、11歳じゃなくて大人になります。だからもう、自分で自分のことをハッチとかマーロウとか言わないこと。自分のことを言うときは、わたし、と言いなさい。それから、いつなんどき島流しにあってもいいように、明日からラジオで基礎英語を聞いて、一年後には英語をかんぺきにぺらぺらにしゃべれるようにしておくこと」
「大人を卒業したひとはだめ人間になる」
2月 やみくもさんとれいこちゃんとチョコレートについての日のこと(マーロウ)
大みそかにに大人になってからというもの、ハッチとわたしは家のことで毎日大忙しだ。夕飯のための買いだしとかラジオ基礎英語とか料理とかお風呂掃除とか、家ではいっぱいやることがあって、おちおち宿題なんかやっていられない。だから宿題は帰りの会が終わったあとに、ハッチと学校の図書館にこもって30分で済ませることにした。その気になれば30分で終わるものなんだなあ、宿題なんて!いままでだらだら、なにやってたんだろ。
つかれないですむときはなるべくつかれないようにすることが大人のコツだって、ハッチもわたしもちょっとはわかってきたんだ・・・いきなり大人になってあたふたしていたこの一か月半くらいのあいだに。だれにも教わらないでそういうことがわかっちゃうなんて、ハッチもわたしも、けっこう大人の才能があるのかも!
あっ、でも、磨かれない才能はタワシになってたましいをごしごし削るっていつかママが言ってたからなあ・・・そんなの最初からないほうが、たましいのためにはいいのかもね。
3月 個性をつくってみた日のこと(ハッチ)
つくった個性なんて、どのみちつまんない個性よ。
4月 ふうがわりな転入生のこと(マーロウ)
「ハッチとマーロウ?あなたたち、外国人なの?」「ううん、たぶん日本人だよ・・・」「なによたぶんって。自分でわからないの?」「ママは日本人だけど、パパはわからないから・・・」「どういう意味?」「わたし、パパに、会ったことがないから・・・」
5月 家出人と山菜採りをした日のこと(ハッチ)
かおるちゃんがなんで家出してきたのか、マーロウもわたしもはやく知りたくてウズウズしてるんだけど、来たばっかりの夜明けごろとちがって、いまはなんとなく聞きづらい雰囲気だ。それに、かおるちゃんの無口であの元気のないようすには、「大人の事情」の気配がぷんぷんする。どんなときでもこの「大人の事情」ってやつが出てくると、たちまちわたしたちのまえには死ぬほど頑丈で死ぬほど退屈なぶあつーい壁が立ちはだかって、おもしろそうな秘密からわたしたちを追っ払ってしまうのだ!
6月 ゆうれいたちの顔を見た日のこと(マーロウ)
「最初の女の子は、だいたいお父さんに似るんだって。わたしもお父さんに似てるってよく言われるよ。ふたりもきっとパパさん似なんじゃない?」エリーに言われて、ハッチとわたしは顔を見あわせた。わたしたちがパパ似?そんなこと、いままでだれにも言われたことがない。でも、もしそれがほんとなら・・・わたしたちはいつもこうして、お互いの顔のなかに一度も会ったことのないパパの顔を見てたってこと?
7月 東京でバカンスした日のこと、その1(ハッチ)
「そうだよねえ。ママ、やっぱり都会に戻ってくると・・・場所が変わるとだめじゃなくなっちゃうなんて、まだだめの基礎ができてないのね」「じゃあママは、修行中のだめ人間だね」「修行中のだめ人間か・・・だめになるのも修行がいるのね」
7月 東京でバカンスした日のこと、その2(マーロウ)
「きみたちは、むかしのお母さんのことを知りたいの、それともお父さんのことを知りたいの?」「どっちもです」とハッチが言った。「どっちかのことを知ったら、もう一方のことも、同じくらいわかると思うから」
9月 男の子の気持ちになってみた日のこと(ハッチ)
だれかが男の子であるとか女の子であるとか、なにを理由に、どうやって決めたらいいんだろう?それはたんにからだのちがいなのかな、着ているものとか、髪型のちがいなのかな?それとも目に見えるものでは決められなくて、本人の心に聞いてみるしかないのかな?
10月 森の家にたくさんお客さんが来た日のこと(マーロウ)
いままでも何人か、東京からママの友だちがこの家にあそびにきてくれたことがある。でも、夜になってこうしてお酒が出てくると、ハッチとわたしはとたんに二階に上げられてしまうのだ。それまでは、みんなと同じようにしゃべったり食べたり、大人も子どもも関係なくぜんいん平等にそこにいる感じがしていたのに・・・お酒が出てきたとたん、いきなりあなたたちはあっちのボートね、ばいばい!って、いっしょに乗っていた大きな船から降ろされちゃうみたいに。
「だって、会いたくないんだもん!」したから突然聞こえてきたママの声に、はっと息をのんだ。「そんなこと言っても・・・」なだめているのはきょんちゃんだ。「わたし、だれからなにを言われても、ぜったいに、ぜったいにイヤだから」それからママがしゃくりあげる声「落ち着いて考えてよ、えみだけのことじゃないんだから・・・」ママが泣いている。これは聞いちゃいけない話だ、
12月 ママが行方不明になった日のこと(ハッチ)
「ハッチ、やっぱり、これはいつもとちがうよ」そう言ったマーロウに、わたしは一度ごくんとつばを飲み込んでから答える。「うん。ちがう」「わたし、いやな予感がするんだ」「わたしも。こんなのぜんぜん、いつもと同じじゃないよね」「いつもとぜんぜん同じじゃないのに、いつもと同じふりなんかできないよ」
12月 わたしたちがいちばん海の近くにいた日のこと(マーロウ)
コップの牛乳を飲みほす十秒、フロッピーと松の木まで競争する十秒、いつもはどこにもである十秒なのに、そのたった十秒に、どうしていまは手が届かないんだろう?それはやっぱり、わたしたちがまだ子どもで、背も手も小さすぎるから?コップや松の木のさきにあるものをつかむには、まだぜんぜん足りないから?考えているとかなしくなってきて、わたしはぎゅっとからっぽのこぶしを握った。
大人だと簡単に諦めれることも子供だと悔しい。この感情は記憶の奥底にあるようなないような。