bookmemo2017’s blog

読んだ本の記録

パックンの「伝え方・話し方」の教科書 世界に通じる子を育てる(パトリック・ハーラン)

「自分の意見を言える子」の親は、家で、何をしているの?ハーバード大卒お笑いコンビで2児の父であるパックンがパックン・ママの教育法+いま実践する子育て法を初公開!

 

 

親が手本になる・立ち話をしよう・子どもに促す前に、親から挨拶しよう・「いろいろな大人」とふれ合う機会をつくろう

 

 

子どもにやらせなければいけない日課はいろいろありますよね。ごはん、おふろ、ピアノ、歯磨き、宿題・・・。何をするかは親が決めたとしても、どの順番でするか、場所はどこでするかは子どもに決めさせるのです。ピアノの練習は基本的にピアノを使ってやりますが、「ピアノの練習、どの恰好でやる?パジャマに着替えてからやる?」と選択肢を与えます。

 

 

「部屋を片づける人には友達を呼ぶ権利があるよ。あなたは友達を呼びたいでしょ?だったら部屋をキレイにすることが前提だよ」

 

 

「今は急いでいるから、とりあえず今日はやってくれよ。明日ゆっくり話そう」と言って、なるべく時間を空けず、ゆっくり話す時間をつくってほしいです。

 

 

子どもに注意したり指示したりするとき、「ダメ!」「こうしなさい!」と言いがちですよね。そんなとき、「なんでこうしなきゃいけないと思う?」と考えさせるほうが俄然、子どもの心に残ります。

 

 

ハーバードで幸福を研究しているショーン・エイカー氏は、よかったことを思い出す習慣をつけると「幸せな脳」になるといいます。そうすると、想像力、記憶力、仕事や学業においての効率などが上がるそうです。

 

もっと子どもと話す時間を増やしたいと思います。

 

いま世界の哲学者が考えていること(岡本 裕一朗)

人工知能遺伝子工学格差社会、テロの脅威、フィンテック、宗教対立、環境破壊……「世界最高の知の巨人たち」が現代のとけない課題に答えをだす

 

 

いつか私たちが、一般的知性において人間の脳を凌駕する機械の脳をつくるならば、その時にはこの新しいスーパー・インテリジェンス(超知性・超知能)はきわめて強大になるだろう。そして、ゴリラの運命が今、ゴリラ自身というよりも、私たち人間にいっそう依存しているように、私たち人間という種の運命も機械のスーパー・インテリジェンスのアクションに依存することになるだろう。

 

 

経済的な平等は、それ自体としては、とくに道徳的に重要なものではない。同様に、経済的不平等(格差)も、それ自体では、道徳的に反論されるものではない。道徳の観点から見れば、誰もが同じものを持つことは重要なことではない。道徳的に重要なことは、各人が十分に持つことである。もし、誰もが十分なおカネをもつならば、誰かが他の人々よりも多く持つかどうかは、特に考慮すべき関心事にはならない。

 

何かの考えに行き詰った時、これらの哲学的視点は、きっと役に立ちます。

★★-多動力(堀江 貴文)

★★後日もう一度読みたい本です。

 

堀江貴文のビジネス書の決定版! !

一つのことをコツコツとやる時代は終わった。
これからは、全てのモノがインターネットに繋がり、全産業の〝タテの壁〟が溶ける。
このかつてない時代の必須スキルが、あらゆる業界の壁を軽やかに飛び越える「多動力」だ。

第1章 1つの仕事をコツコツとやる時代は終わった
第2章 バカ真面目の洗脳を解け
第3章 サルのようにハマり、鳩のように飽きよ
第4章 「自分の時間」を取り戻そう
第5章 自分の分身に働かせる裏技
第6章 世界最速仕事術
第7章 最強メンタルの育て方
第8章 人生に目的なんていらない


Iotという言葉を最近ニュースでもよく耳にすると思う。

これは、ありとあらゆる「モノ」が
インターネットとつながっていくことを意味する。

すべての産業が「水平分業型モデル」となり、結果〝タテの壁〟が溶けていく。
この、かつてない時代に求められるのは、各業界を軽やかに越えていく「越境者」だ。

そして、「越境者」に最も必要な能力が、次から次に自分が好きなことをハシゴしまくる
「多動力」なのだ。

この『多動力』は渾身の力で書いた。
「多動力」を身につければ、仕事は楽しくなり、人生は充実すると確信しているからだ。

「はじめに」より

 

 

本を何冊読んでも、現実は1ミリも変わらない。まずは一つでもいいから実践してみてほしい。

 

 

あなたの代わりがいる限り、あなたの値段は上がらない。複数の肩書きを掛け算し、レアな存在になろう。

 

 

「完璧主義者」は、何度もやり直し、一つの仕事にアリ地獄のようにハマってしまう。目指すは、完璧ではなく、完了だ。目の前の仕事をサクサク終わらせ。次に行く。そして前の仕事には戻らない。「完了主義者」こそ、大量のプロジェクトを動かすことができる。

 

 

スティーブ・ジョブズは「点と点をつなげていくと、いつの間にか線ができる」と言ったが、あちこちハマっていくうちに、網の目のように散らばった点と点が思わぬところでつながるのだ。一度深くまでハマり、あっさり次へ移る。これからの時代は、そうやって80点取れるものをいくつももっている人が強い。

 

 

仕事がデキる人には「レスが速い」という共通点があり、忙しい人ほど持ち球を手元に溜めないものだ。

 

 

一歩踏み出したせいでみっともない失敗をしたとしても、そんなことは3日もたてば誰も覚えてはいない。恥をかく勇気、失敗する勇気さえもてば、どんどん免疫ができてリスクを取ることを恐れなくなる。この勇気をもつことが何よりも重要なのだ。この瞬間から周りの人の目を気にするのをやめよう。君の頭の中が、他人の振る舞いや失敗のことでいっぱいにならないのと同じように、周りの人は君のことなんてまったく気にしていない。外野の雑音なんて気にせず、君は飄々と我が道を進めばいいのだ。「多動力」を身につけるには、どんな知識や仕事術を身につけるより、「感情」のフィルターを外すことが先決だ。

 

自分の考えていた理想が詰まった本です。

 

もう少し今の状況が変わったときに、もう一度読みます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

★-会津執権の栄誉(佐藤巖太郎)

★おすすめの本です。

 

四百年の長きにわたり会津を治めてきた芦名家。
しかし十八代目当主が家臣の手にかかって殺されたことから
男系の嫡流が断たれ、常陸佐竹義重の二男、義広が
婿養子として芦名家を継ぐことにに決まった。

血脈の正当性なき家督相続に動揺する、芦名家譜代の家臣たち。
義広が引き連れてきた佐竹の家臣団との間に、激しい軋轢が生じる。

揺れ動く芦名家に戦を仕掛けるのが、奥州統一を企てる伊達家の新当主、伊達政宗
身中に矛盾を抱えたまま、芦名氏は伊達氏との最終決戦、摺上原の戦いに至る。

「夢幻の扉」でオール讀物新人賞を受賞した佐藤巖太郎が
滅亡に向かう名家と、戦国武将の意地を克明に描き切った傑作。

 

 

ひとしきりの感情の氾濫の後、落ち着きが戻った。

そして一点の誤りに気づいた。

真に従順な家臣はいる。

自分が一番よく知っていた。芳正の最も身近なところにいた。その男はいま、槍一本を持って猪苗代城に探索に向かっている。そして、戻って来て言うだろう。

やろうと思ったことをおやりなさいませ、と。

 

 

払うことのできない時雨が衣を濡らすならば、いっそのこと脱ぎ捨ててしまえばよかったのだ。そう考えたら、不思議と躰が軽くなった。当たり前のことに気づいたのだ。生まれ落ちた時、初めて戦場を駆け巡った時、飾りも重荷も、何も背負っていなかった。

 

 

政宗はもう一度、蝉の抜け殻を見た。その抜け殻を草履の先で蹴り飛ばす。中身のない空っぽの残骸が転がった。

(まだ終わっていない)

眼帯の白布に手を当てた。あきらめるのはまだ早い。不幸にも幼い時に右目を失った代わりに、暗闇には慣れていた。そのお陰で、暗闇の中に隠れているものを見ることができた。人は誰しもがこころの中に、暗闇を・・・言い換えれば恐れや弱みを抱え込んでいる。その恐れや弱みこそが、人の行動の大部分を支配している。勇猛な武者が一度生死の境をさまようと、人が変わったように臆病になるのと同じで、一度抱いた恐れが知らず知らずにその後の当人の行動を決定づけている。

 

ひとつの史実に人の数だけ物語あり。ひとつの物語がもう一つの物語の伏線となる。

会津芦名家に惚れました。

 

 

 

 

人生を動かす仕事の楽しみ方~才能よりも大切な「気づく力」~(新津 春子)

 

当たり前だけれど、忘れがちな「働くこと」「生きること」の意味

 

中国残留孤児の二世として、日本語も話せないまま日本にきた著者。
「パンの耳をかじる生活」だったと語る生活から抜け出すため、
若かりし頃の著者が選んだ道は「清掃」という仕事だった。

はじめこそ、愛想なく黙々と清掃を続けていた著者だが、
信頼できる上司との出会いで、「あること」に気づかされる。
そこから、著者の人生は大きく動き出すことに。

「清掃は私の人生そのもの」

そう力強く何度も語る著者の、その笑顔の秘密が明かされる一冊!

 

私はそれまでの27年間、誰にも助けてもらわずに自分の力だけで生きてきました。

これから先もずっと自分一人の力で生きていける。仕事を頑張ればお給料はもらえるし、お給料があれば食べたいものも買えるし、行きたいところにだって行ける。

私にはそれで十分。

その反面、自分は死ぬまでずっとこのままなのかなと漠然とした不安を抱いていました。

いまのように「毎日を楽しく過ごそう」という気持ちに欠けていたのです。

まだ20代でしたから、自分の生き方が正しいのか、それとも間違っているのか、そこまで考える余裕がありませんでした。

ところが、お客様を観察するようになって、そんな私に変化がおきました。他人に興味を持ち、自分以外の人から学ぶという意識が芽生えたのです。

それは「一人の力で生きてきたつもり」の私には大きな変化でした。

 

 

工夫には以外な副産物があって、工夫をしてうまくいくとそれだけでうれしくなって、いつのまにか工夫することが楽しくなってくるんです。そうすると、結果として、仕事自体も楽しく、そして楽になります。

 

 

うまくいかなくても、自分の頭で考えて行動すれば、失敗もしながら、最後は自分自身の力でできるようになることでしょう。

そうなることが、将来の自分を困らせないことになるのです。

 

 

ただ目の前のことを言われたとおりにやっていても、仕事は楽しくならないと思います。仕事でも私生活でも「見たことないものをもっと見てやろう」という気持ちが大事。ずっと同じものばかり見続けているのはつまらないのです。

 

 

いま目標がないのなら目の前のことを一生懸命やってみてください。少し時間はかかるかもしれませんが、きっとあたなの中で変化が起きます。もしかしたら「自分は将来、これをやっていきたい」ということに出会えるかもしれません。27歳の私が「全国ビルクリーニング技能競技会」を境に大きく変わっていったようにです。

 

 

私の中で納得できないことがあると「わかった。会社で私のことを評価してくれないんだったら、外でがんばってみる」と思うようになりました。社外の誰かが評価すれば、それがめぐりめぐって会社に伝わります。たとえば業界団体主催のコンテストで入賞する、専門の資格を取る、など。何らかの行動を起こさない限り、いまの評価が簡単に変わることはありません。

 

お金や自分のためでなく人のために働いてみる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

★-敵の名は、宮本武蔵(木下 昌輝 )

★おすすめの本です。

 

七人の敗者たちから描く、剣聖の真の姿。 かつてない宮本武蔵像が誕生した 剣聖と呼ばれた男の真の姿とは──。島原沖畷の戦いで“童殺し”の悪名を背負い、家中を追放された鹿島新当流の有馬喜兵衛の前に、宮本無二斎と、弁助(武蔵)と呼ばれる十二、三歳の子供が現れた。弁助は、「生死無用」の真剣で果し合いをするというのだが……。(「有馬喜兵衛の童討ち」より)少女を救うため、避けられぬ戦いに命を賭す「クサリ鎌のシシド」、武蔵の絵に惹きつけられるも、一対一の勝負に臨む「吉岡憲法の色」、武蔵の弟子たちが見た剣の極地「皆伝の太刀」、武蔵と戦う宿命を背負った小次郎「巌流の剣」、そして次には……。敵たちの目に映った宮本武蔵。その真の姿とは──。著者渾身の歴史小説

 

 

「有馬喜兵衛の童打ち」

島原沖田畷の戦いで“童殺し”の悪名を背負い、家中を追放された鹿島新当流の有馬喜兵衛の前に、宮本無二斎と、弁助(武蔵)と呼ばれる十二、三歳の子どもが喜兵衛の前に現れた。弁助は、「生死無用」の真剣で果たし合いをするというのだが…。

 

「うぬぼれるな。止める気なんかないよ」ガタリと木板に人の体が当たる音がした。「せめて、別れの挨拶ぐらいしていけ。それでも男か」女の罵声を背で受け止めて、走る。背後から、さらに何かが聞こえてきた。女のすすり泣く声だ。足や腰にまとわりつき、喜兵衛の心を湿らせる。

 

「クサリ鎌のシシド」

人買いにすら見捨てられた自らの命を、千春によって救われたシシド。だが、貧しい境遇の2人は、引き裂かれる運命にあった―。哀しき邂逅と、避けられぬ戦いが迫る。

 

武蔵は銭を受け取る素振りを見せない。思いつくままに、シシドは口を開く。「おいらを最初に買ったのは、異人だった。」(中略)視界が白くぼやけてくる。ジャラリと銭を持ち上げる音がした。安堵が、急速に生きる執念を奪っていく。

 

 

吉岡憲法の色」

かつて染め物を業としていた京八流の名門剣術流派、吉岡流。その跡継ぎとなった吉岡源左衛門は、武蔵が描いたという絵に衝撃を受けた。幾内を席巻しつつある宮本武蔵とは、何者か。憲法の名を継いだ源左衛門は、勝負のなかで武蔵になにを視るのか。

 

「この色は弱い」武蔵の一声に、静かなどよめきが広がる。「お、お言葉ですが、武蔵様。これは金気の少ない京の水で染めたものでございます」珍しく不機嫌さが滲む声で吹太屋は説く。「数百年経っても褪せぬ技法で生んだ色であることは、大和や京の古刹に残る染物からも明らかでございます」沈黙が降り積もるかのような間が、またしても生まれた。知らず知らずのうちに、憲法は拳を握り締めている。二十歳程度の武芸者の評に、どうして己はこうまでこだわっているのか。武蔵の若い声が、襖越しから再び聞こえてくる。「あるいは千年経っても蔵の中では残るかもしれない」武蔵の評に、人々が唾を呑む音も聞こえてきた。「が人々の心には残らぬ色だ」客たちは呻き声を上げた。

 

「皆伝の太刀」

吉岡憲法との戦いの後、江戸の道場で弟子たちと剣を交す武蔵。だが武蔵の剣は、いままでの殺気みなぎるものでは無くなっていた。弟子を引き連れてやってきた屋敷では、全く異なる真剣勝負が待っていた。

 

「武蔵殿は見るのではなく、観ている」

 

 

「巌流の剣」

宮本無二の弟子・本位田外記の二刀流を遣う津田小次郎は、鹿島新当流の遠山を一刀で打ち負かすほどになっていた。外記からの思いもよらぬ手紙を受け取った小次郎は、外記を救うために、美作へ向かう。だが、そこで出逢ったのは圧倒的な強さの“美作の狂犬”だった。

 

これが赤子というものか。小次郎の腕の中に、柔らかくももろいものが確かに息づいていた。紺色の襁褓の中で小さな腕を折り畳み、小次郎の胸に額をすりつけるようにして眠る。こんなにも弱いものが、これほど無防備に己の腕の中にあることに戸惑っていた。

 

 

「無二の十字架」  

前五篇の秘密が明かされる。そして運命の闘いが待ち受ける。

 

なぜか、足が重い。今なら童が斬りかかっても、容易く殺されてしまうだろう。月に、顔を向ける。「己は犬だ」拳を強く握りしめながら叫んだ。「主の言うことを、誰よりも忠実に守る」そう宣言すると、ほんの少しだけ足は軽さを取り戻した。

 

 

「武蔵の絵」

書き下ろしの最終章。巌流島の戦いから二十数年。消息が途絶えていた武蔵の噂を聞いた吉岡源左衛門は、京都を発ち九州へ向かうが…。かつての敵は、生きているのか。

 

武蔵は色を使うことなく、墨の濃淡だけで多彩な色を生み出したのだ。

 

この本から何かを学びたいと読み始めるが、すごい腕力で物語のなかに引き込まれ、それどころではなくなりました。

 

充実した読書時間を過ごすことができました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハッチとマーロウ (青山七恵) 

青山七恵が描くおちゃめな双子の物語
 デビューから12年。青山七恵が温めてきた懐かしくて新しい物語。

 「ママは大人を卒業します!」と突然の宣言。
 11歳の誕生日に突然大人になることを余儀なくされたハッチとマーロウ。お料理ってどうやって作るの?お洋服、何を着ればいいの?双子に個性って必要?私たちのパパって、誰なの・・・・?少しずつ目覚めるふたりの自我と葛藤。
おちゃめでかわいい双子の日常が愛おしく過ぎていく。

 結末に知るママの思いと双子の小さな約束に心揺さぶられる。

 かつて子供だった大人へ、これから大人になる子供達へ贈りたい、感動の物語誕生。全編を飾るイラストは、大人気イラストレーター・田村セツコさん。

双子、女の子、子供と現在の自分とは真逆だし遠い物語。だからこそ読んだ後は世界が広がった気がします。

 

1月 わたしたちが大人になった日のこと(ハッチ)

 

「聞こえた?ふたりとも。聞いたよね。今日からふたりは、11歳じゃなくて大人になります。だからもう、自分で自分のことをハッチとかマーロウとか言わないこと。自分のことを言うときは、わたし、と言いなさい。それから、いつなんどき島流しにあってもいいように、明日からラジオで基礎英語を聞いて、一年後には英語をかんぺきにぺらぺらにしゃべれるようにしておくこと」

 

「大人を卒業したひとはだめ人間になる」

子どもが大人になり、大人がだめ人間になった日のおはなし。

 

2月 やみくもさんとれいこちゃんとチョコレートについての日のこと(マーロウ)

 

大みそかにに大人になってからというもの、ハッチとわたしは家のことで毎日大忙しだ。夕飯のための買いだしとかラジオ基礎英語とか料理とかお風呂掃除とか、家ではいっぱいやることがあって、おちおち宿題なんかやっていられない。だから宿題は帰りの会が終わったあとに、ハッチと学校の図書館にこもって30分で済ませることにした。その気になれば30分で終わるものなんだなあ、宿題なんて!いままでだらだら、なにやってたんだろ。

 

つかれないですむときはなるべくつかれないようにすることが大人のコツだって、ハッチもわたしもちょっとはわかってきたんだ・・・いきなり大人になってあたふたしていたこの一か月半くらいのあいだに。だれにも教わらないでそういうことがわかっちゃうなんて、ハッチもわたしも、けっこう大人の才能があるのかも!

 

あっ、でも、磨かれない才能はタワシになってたましいをごしごし削るっていつかママが言ってたからなあ・・・そんなの最初からないほうが、たましいのためにはいいのかもね。

双子はみるみる成長しています。才能があっても磨きなさい。

 

3月 個性をつくってみた日のこと(ハッチ)

 

つくった個性なんて、どのみちつまんない個性よ。

母親のセリフです。

 

4月 ふうがわりな転入生のこと(マーロウ)

 

「ハッチとマーロウ?あなたたち、外国人なの?」「ううん、たぶん日本人だよ・・・」「なによたぶんって。自分でわからないの?」「ママは日本人だけど、パパはわからないから・・・」「どういう意味?」「わたし、パパに、会ったことがないから・・・」

 

 

5月 家出人と山菜採りをした日のこと(ハッチ)

 

かおるちゃんがなんで家出してきたのか、マーロウもわたしもはやく知りたくてウズウズしてるんだけど、来たばっかりの夜明けごろとちがって、いまはなんとなく聞きづらい雰囲気だ。それに、かおるちゃんの無口であの元気のないようすには、「大人の事情」の気配がぷんぷんする。どんなときでもこの「大人の事情」ってやつが出てくると、たちまちわたしたちのまえには死ぬほど頑丈で死ぬほど退屈なぶあつーい壁が立ちはだかって、おもしろそうな秘密からわたしたちを追っ払ってしまうのだ!

大人の事情は子供にとって大きな壁でしたね。

 

6月 ゆうれいたちの顔を見た日のこと(マーロウ)

 

「最初の女の子は、だいたいお父さんに似るんだって。わたしもお父さんに似てるってよく言われるよ。ふたりもきっとパパさん似なんじゃない?」エリーに言われて、ハッチとわたしは顔を見あわせた。わたしたちがパパ似?そんなこと、いままでだれにも言われたことがない。でも、もしそれがほんとなら・・・わたしたちはいつもこうして、お互いの顔のなかに一度も会ったことのないパパの顔を見てたってこと?

 

7月 東京でバカンスした日のこと、その1(ハッチ)

 

「そうだよねえ。ママ、やっぱり都会に戻ってくると・・・場所が変わるとだめじゃなくなっちゃうなんて、まだだめの基礎ができてないのね」「じゃあママは、修行中のだめ人間だね」「修行中のだめ人間か・・・だめになるのも修行がいるのね」

だめになるのも確かに修行が必要ですね。

7月 東京でバカンスした日のこと、その2(マーロウ)

 

「きみたちは、むかしのお母さんのことを知りたいの、それともお父さんのことを知りたいの?」「どっちもです」とハッチが言った。「どっちかのことを知ったら、もう一方のことも、同じくらいわかると思うから」

双子はパパのことを知りたがっています。

9月 男の子の気持ちになってみた日のこと(ハッチ)

 

だれかが男の子であるとか女の子であるとか、なにを理由に、どうやって決めたらいいんだろう?それはたんにからだのちがいなのかな、着ているものとか、髪型のちがいなのかな?それとも目に見えるものでは決められなくて、本人の心に聞いてみるしかないのかな?

 

10月 森の家にたくさんお客さんが来た日のこと(マーロウ)

 

いままでも何人か、東京からママの友だちがこの家にあそびにきてくれたことがある。でも、夜になってこうしてお酒が出てくると、ハッチとわたしはとたんに二階に上げられてしまうのだ。それまでは、みんなと同じようにしゃべったり食べたり、大人も子どもも関係なくぜんいん平等にそこにいる感じがしていたのに・・・お酒が出てきたとたん、いきなりあなたたちはあっちのボートね、ばいばい!って、いっしょに乗っていた大きな船から降ろされちゃうみたいに。

 

「だって、会いたくないんだもん!」したから突然聞こえてきたママの声に、はっと息をのんだ。「そんなこと言っても・・・」なだめているのはきょんちゃんだ。「わたし、だれからなにを言われても、ぜったいに、ぜったいにイヤだから」それからママがしゃくりあげる声「落ち着いて考えてよ、えみだけのことじゃないんだから・・・」ママが泣いている。これは聞いちゃいけない話だ、

酒席には子供に聞かせたくない会話が増えますね。

 

12月 ママが行方不明になった日のこと(ハッチ)

 

「ハッチ、やっぱり、これはいつもとちがうよ」そう言ったマーロウに、わたしは一度ごくんとつばを飲み込んでから答える。「うん。ちがう」「わたし、いやな予感がするんだ」「わたしも。こんなのぜんぜん、いつもと同じじゃないよね」「いつもとぜんぜん同じじゃないのに、いつもと同じふりなんかできないよ」

話はクライマックスへ。

12月 わたしたちがいちばん海の近くにいた日のこと(マーロウ)

 

コップの牛乳を飲みほす十秒、フロッピーと松の木まで競争する十秒、いつもはどこにもである十秒なのに、そのたった十秒に、どうしていまは手が届かないんだろう?それはやっぱり、わたしたちがまだ子どもで、背も手も小さすぎるから?コップや松の木のさきにあるものをつかむには、まだぜんぜん足りないから?考えているとかなしくなってきて、わたしはぎゅっとからっぽのこぶしを握った。

大人だと簡単に諦めれることも子供だと悔しい。この感情は記憶の奥底にあるようなないような。